今回は、森崎ウィンはミャンマー人のハーフ、両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介、をお送りします。
森崎ウィンさんは、2018年に公開されたS.スピルバーグ監督のハリウッド映画『レディ・プレイヤー1』に主要キャストの[ダイトウ]役で出演していた事で注目を浴びました。
森崎さんはオーディションで役を勝ち取っていて、「英語の発音がきれい」と監督に褒められたそうです。
そんな凄い経歴を持つ森崎さんですが、幼い頃の生い立ちでは苦労もあったそうです。
森崎ウィンさんの甘いマスクはなんとなくハーフっぽいと思う方が多いようですね。
「ミャンマー人」のハーフとの噂もあり、その事にも関係しているかもしれませんね。
では、森崎ウィンはミャンマー人のハーフ、両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介、をお送りします。
森崎ウィンのプロフィール
ううう😢
素敵だ…!
ありがとうございます!!#WINTOUR2025https://t.co/i1jCEweSDl— 森崎ウィン / MORISAKI WIN (@win_morisaki_) October 16, 2025
本名:ウィン・チョウトゥー
生年月日:1990年8月20日
出身地:ミャンマー国、ヤンゴン
血液型:O型
身長:174㎝
特技:サッカー、フライトシュミレーターゲーム、ビリヤード
子供の頃はパイロットが夢だった!
森崎ウィンさんは、幼い頃はパイロットになりたかったそうです。
「僕は小さい頃から飛行機が好きで、パイロットになるのが夢だったんです。でも、小学4年生のときに日本に来て、今の仕事を始めてからはしばらく忘れていて。その夢が、『レディ・プレイヤー1』で海外へ行く機会が増えたりした時に再燃したんです。
引用元:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63232100R30C20A8000000/
数年前に、飛行機を操るフライトシュミレーターゲームのアプリにハマったとインタビューで話していました。
森崎ウィンはミャンマー人のハーフ?

森崎ウィンさんの「父親がミャンマー人」であるという発言がありました。
僕の父親がミャンマー人というのは変わらないです
引用元:ミャンマー出身・森崎ウィン、1年半の手続き経て日本国籍取得を報告 政情不安の母国に対する思い激白 | オリコンニュース(ORICON NEWS)
もし両親共にミャンマー人ならば、このような言い方はしないですよね?
この事から「母親はミャンマー人では無い」と考えられ、結果的に諸崎ウィンさんは「ハーフ」の可能性があると思いました。
なんとなく日本人ぽいお顔立ちなので、ひょっとすると母親は日本人のような気がします。
森崎ウィンの国籍は日本!
母親に『国籍が変わったところで、あなたの血は変わらない』と言われたことがきっかけで「俺にしかできない路線がある」と考えミャンマー国籍のままでしたが、2025年10月に「日本国籍を取得」しています。
ミャンマー出身の俳優・森崎ウィンが28日、NHK Eテレの番組『ハートネットTV』(毎週月~水 午後8:00)に出演し、メディアで初めて、日本国籍取得を報告した。
引用元:ミャンマー出身・森崎ウィン、1年半の手続き経て日本国籍取得を報告 政情不安の母国に対する思い激白 | オリコンニュース(ORICON NEWS)
日本国籍取得の理由としては、以下の事があると説明がありました。
- 在留許可の定期的な更新が必要なくなる
- 音楽活動に制限がかかるのを防ぐ
- ミャンマーの国内クーデターにより、海外への渡航が以前よりも難しくなり芸能活動に支障が出た為
母国を捨てるようで、大きな葛藤があったそうですが、「ミャンマーと日本の架け橋になる」という夢を叶える為にも、決断をしたと明かしていました。
日本国籍取得後に選挙に行ったと、話していました。
「感動しました。選挙ってこんな感じなんだ!って」
引用元:ミャンマー出身・森崎ウィン、1年半の手続き経て日本国籍取得を報告 政情不安の母国に対する思い激白 | オリコンニュース(ORICON NEWS)
森崎ウィンさんが素直に喜んでいるのが伝わってくるエピソードですね。
森崎ウィンの両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介!

上の写真は、ミャンマーの実家で、優しそうな祖母と楽しそうな森崎ウィンさんです。
森崎ウィンさんは1990年8月20日にミャンマーのヤンゴンで生まれました。
『ウィン』という名前はミャンマー語で「明るい」という意味で、祖母がつけてくれたそうです。
家族は父・母・祖母・弟・森崎ウィンさんの5人です。
森崎さんが日本に来る前に10歳下の弟が生まれています。
森崎ウィンの両親の職業は?
[父親]の職業は、若い頃は世界中を航海する船の整備士として働いていたそうです。現在は、日本でミャンマー料理の店を経営されています。
[母親]は、以前は日本で事務の仕事をしていました。性格は父親は聞き上手で優しく、母親は厳しくいろんな事を教えてくれたそうです。
特に覚えているのが「ごめんなさい、ありがとうは言えるのが当たり前。言うタイミングを間違えないようにしなさい」と言われたことだそうで、今の仕事や人間関係を築く上でも考え方の基礎となっていると話していました。
あと母親も海外での生活が長い為、多言語を使う大切さが身にしみていたそうで、森崎さんに英語を身につけるようにと、”お手製のテキスト”を作って活用形をしっかり覚えさせました。
森崎ウィンさん自身も、英語を”やらされてる”と感じてなかったのが、その後も貪欲に英語を勉強してハリウッド映画に出演できるレベルにまで上げれた事に繋がってるんですね。
森崎ウィンの祖母
森崎ウィンさんは両親が日本や海外で働いていたので、祖母と2人暮らしだったそうです。
祖母は以前アメリカや日本で住んでた事があり英語が話せたので、ミャンマーでその当時は珍しい英語教室を開いて生徒さんもたくさんいて『大先生』と呼ばれ有名だったそうです。
必然的に森崎さんも一緒に英語を学び、祖母は英語教室で「童謡を歌いながら楽しく教えてくれた」そうで、英語を本格的に学んでいく土台になったと話していました。
森崎さんは、明るくしっかりした祖母が大好きでした。
普段は優しく「宿題をさぼった時は怒って怖かった」と話していました。
ただ甘いだけでなく、両親の代わりにしっかり育てなきゃという強い思いがあったのではと感じ、とても素敵な方だと思いました。
日本に移り住むことになった時に、森崎さんは祖母と離れたくなくて嫌がりましたが、祖母があえて涙を見せず日本へ行くように説得しました。
ホントは寂しかったのにと思うと、じ~んときますね。
今は体調を崩されて、森崎さんの母親がミャンマーで一緒に住んで面倒を見てるそうです。
森崎ウィンの生い立ち
1990年にミャンマー・ヤンゴンで生まれ、両親が日本や海外に出稼ぎに行っていた為10歳まで祖母と2人暮らしでしたが、2000年に母親が次男を出産する為にミャンマーに里帰りした後、森崎ウィンさんも一緒に日本に行くことになりました。
その時に誕生した10歳下の弟とは今でもとても仲良くカラオケに行ったりするんだそうです。
両親は森崎さんをインターナショナルスクールに通わせることは選ばず、地元の公立の小学校に通わせたため、日本語が全く話せなかったウィンさんは1年位はいじめられたこともあったりとても苦労したと、インタビューで話していました。
それでも次第に友達もでき、日本語も覚えることが出来て、結果としては両親の”スパルタ方式”が功を奏したと言えるかもしれませんね。
確かに森崎さんの日本語はとても自然で、ドラマや映画でもそれがよくわかりますね。
2004年(中学2年)の時に、ミャンマーに一時帰国し9日間の[出家修行]を行い修行の終了直前にお坊様が手相を見て「君は人前に立つ仕事をするね」と言われ、当時サッカー少年だった森崎さんは当然サッカーで有名になるものと思ったそうでしたが、日本に戻ってきてすぐコーチに「お前はセンスがないからやめた方がいい」と言われ、「言われたことと全然違う」と思ったと明かしていました。
しかしサッカーの試合の帰りにデートの待ちあわせ場所の恵比寿で[スターダストプロモーション]にスカウトされ、母親にも「どうせ暇なら行ってみたら」と勧められレッスンを受けてみたら楽しかったそうです。
森崎ウィンは歌唱力やミュージカルがスゴイ!

森崎ウィンさんは、2008年にダンスボーカルグループ【PrizmaX】のメンバーとして芸能界での活動を始めました。
2020年【PrizmaX】解散後は【MORISAKI WIN】としてソロメジャーデビューを果たし、シングル「パレード – PARADE』をリリースしました。
最近ではドラマでの活躍も目立つ森崎ウィンさんですが、歌唱力はかなりのものでライフワークであるミュージカルや舞台で存分に活かされています。
森崎ウィンの舞台・ミュージカル作品
2020年2月~3月・『ウェスト・サイド・ストーリー』シーズン2:トニー役
2022年8月~9月・『ピピン』:ピピン役
2023年3月・『SPYxFAMILY』:ロイド・フォージャー役
2025年9月~12月・『SPYxFAMILY』:ロイド・フォージャー役
2023年12月・『ジョン&ジェン』:ジョン役
2025年4~5月・『ウェイトレス』:ジム・ポマイター医師役
他にも数々の映画やドラマや音楽活動、ラジオ、CMなどで活躍されています。
まとめ

森崎ウィンはミャンマー人のハーフ、両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介、をお送りしました。
森崎ウィンさんはミャンマー人のハーフではなく、純粋なミャンマー人でした。
両親はウィンさんが生まれてすぐ日本に出稼ぎに行っていて、本国では祖母と2人暮らしでしたが、祖母は英語教室を営みながら優しく、時には厳しくウィンさんを育てていました。
父親は元々は世界中を回る船の整備士でしたが、ミャンマー料理店で働いた後、自分でミャンマー料理店を日本で開業したそうです。
母親は日本で事務の仕事をしていたそうで、ウィンさんに対する教育にはとても熱心で厳しい方でしたが、そのおかげでウィンさんの英語や日本語がネイティブレベルになったのかもしれません。
森崎ウィンさんが歌手、俳優として今後ますます活躍される事を、家族やミャンマーの親戚の方々もきっと応援されていることと思います。
森崎ウィンはミャンマー人のハーフ、両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介、を最後まで読んでいただきありがとうございました。


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