現在オンエア中のドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』では、弁護士・松風(松山ケンイチ)の幼馴染であり同僚で、ピリついた場をいつも優しく和ませてくれる癒しの存在である弁護士・波佐見 幸信を演じています。
ドラマの中での森崎さん演じる波佐見はイケメンでいつも穏やかで(これから違う顔も出てくるかもですね)見るとホッとする感じなのですが、実際の森崎さんはどんな人なのか気になってしまいますね!
今回は、森崎ウィンはミャンマー人のハーフか、両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介していきますね。
森崎ウィンさんが一躍名前が知られたのは、2018年に公開されたS.スピルバーグ監督のハリウッド映画『レディ・プレイヤー1』に主要キャスト:ダイトウ役で出演していた事ですね。
森崎さんはオーディションで役を勝ち取っていて、「英語の発音がきれい」と監督に褒められたそうです。
そんな凄い経歴を持つ森崎さんですが、幼い頃の生い立ちでは苦労もあったそうです。
森崎ウィンさんの甘いマスクはなんとなくハーフっぽいと思う方も多いようですね。
私も最初ハーフかなと思いました!
実はミャンマー人のハーフとの噂もあり、その事にも関係しているかもしれませんね。
では、森崎ウィンはミャンマー人のハーフか、両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介します。
森崎ウィンはミャンマー人のハーフ?
結論から言いますと、森崎ウィンさんはハーフではございません。
ミャンマー人の両親を持つ、ミャンマー育ちのミャンマー人です。
なんとなく日本人ぽいお顔立ちなのでハーフかなと思ってしまいましたよね。
あと国籍は今でもミャンマーのままなんだそうです。
芸能活動の仕事で海外に行く時に、ミャンマー国籍よりも日本国籍の方が渡航しやすいこともあり、過去に日本に帰化することも考えたみたいですが、母親に『国籍が変わったところで、あなたの血は変わらない』と言われたことがきっかけで「俺にしかできない路線がある」と考え、ミャンマー国籍のままでいる選択をしたそうです。
森崎ウィンの両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介!
上の写真は、ミャンマーの実家で、優しそうなおばあさんと楽しそうなウィンさんですね。
ウィンさんは1990年8月20日にミャンマーのヤンゴンで生まれました。
『ウィン』という名前はミャンマー語で「明るい」という意味で、おばあちゃんがつけてくれたそうです。
家族は父・母・祖母・ウィンさんの4人でしたが、ウィンさんが日本に来る前に10歳下の弟が生まれています。
森崎ウィンの祖母はどんな人?
ウィンさんは両親が日本や海外で働いていたので、[祖母]と2人暮らしだったそうです。
祖母は以前アメリカや日本で住んでた事があり英語が話せたので、ミャンマーでその当時は珍しい英語教室を開いて生徒さんもたくさんいて『大先生』と呼ばれ有名だったそうです。
必然的にウィンさんも一緒に英語を学び、おばあさんは英語教室で「童謡を歌いながら楽しく教えてくれた」そうで、英語を本格的に学んでいく土台になったと話していました。
ウィンさんは、明るくしっかりしたおばあさんが大好きだったみたいです。
普段は優しく「宿題をさぼった時は怒って怖かった」そうです。
ただ甘いだけでなく、両親の代わりにしっかり育てなきゃという強い思いがあったのではと感じ、とても素敵なおばあ様だと思いました。
日本に移り住むことになった時に、ウィンさんはおばあさんと離れたくなくて、嫌がったそうですが、おばあさんはあえて涙を見せずウィンさんが日本へ行くように説得したそうです。
ホントに立派な方で、なんかじ~んときますね。
今は体調を崩されて、ウィンさんの母親がミャンマーで一緒に住んで面倒を見てるそうです。
森崎ウィンの両親の職業は?どんな人?
[父親]の職業は、若い頃は世界中を航海する船の整備士として働いていたそうです。現在は、日本でミャンマー料理の店を経営されているそうです。
[母親]は以前は、日本で事務の仕事をしていたそうです。【性格】では父親は聞き上手で優しく、母親は厳しくいろんな事を教えてくれたと言っていました。
特に覚えているのが「ごめんなさい、ありがとうは言えるのが当たり前。言うタイミングを間違えないようにしなさい」と言われたことだそうで、今の仕事や人間関係を築く上でも考え方の基礎となっていると話していました。
あと母親も海外での生活が長い為、多言語を使う大切さが身にしみていたそうで、ウィンさんに英語を身につけるようにと、”お手製のテキスト”を作って活用形をしっかり覚えさせたそうです。
ウィンさん自身も、英語を”やらされてる”と感じてなかったのが、その後も貪欲に英語を勉強してハリウッド映画に出演できるレベルにまで上げれた事に繋がってるんですね。
森崎ウィンの生い立ちなどまとめて紹介
1990年にミャンマー・ヤンゴンで生まれ、両親が日本や海外に出稼ぎに行っていた為10歳まで祖母と2人暮らしでしたが、2000年に母親が次男を出産する為にミャンマーに里帰りした後、ウィンさんも一緒に日本に行くことになりました。
その時に誕生した10歳下の弟さんとは今でもとても仲良くカラオケに行ったりするんだそうです。
両親はウィンさんをインターナショナルスクールに通わせることは選ばず、地元の公立の小学校に通わせたため、日本語が全く話せなかったウィンさんは1年位はいじめられたこともあったり、とても苦労したとインタビューで話していました。
でも次第に友達もでき、日本語も覚えることが出来て、両親の”スパルタ方式”でよかったと言えるかもしれませんね。
確かに今のウィンさんの日本語はとても自然で、ドラマや映画でもそれがわかりますね。
2004年(中学2年)の時に、ミャンマーに一時帰国し9日間の[出家修行]を行い修行の終了直前にお坊様が手相を見て「君は人前に立つ仕事をするね」と言われ、当時サッカー少年だったウィンさんは当然サッカーで有名になるものと思ったそうでしたが、日本に戻ってきてすぐコーチに「お前はセンスがないからやめた方がいい」と言われ、「言われたことと全然違う」と思ったそうです。
しかしサッカーの試合の帰りにデートの待ちあわせ場所の恵比寿で[スターダストプロモーション]にスカウトされ、母親にも「どうせ暇なら行ってみたら」と勧められレッスンを受けてみたら楽しかったそうです。
2008年にダンスボーカルグループ【PrizmaX】のメンバーとして芸能界での活動を始めました。
2020年【PrizmaX】解散後は【MORISAKI WIN】としてソロメジャーデビューを果たし、シングル「パレード – PARADE』をリリースしました。
ウィンさんに歌唱力はかなりのもので、自身が”ライフワーク”だと言うミュージカルや舞台で存分に活かされています。
《主な舞台・ミュージカル出演作品》
2020年2月~3月・『ウェスト・サイド・ストーリー』シーズン2:トニー役
2022年8月~9月・『ピピン』:ピピン役
2023年3月・『SPYxFAMILY』:ロイド・フォージャー役
2025年9月~12月・『SPYxFAMILY』:ロイド・フォージャー役
2023年12月・『ジョン&ジェン』:ジョン役
2025年4~5月・『ウェイトレス』:ジム・ポマイター医師役
他にも数々の映画やドラマや音楽活動、ラジオ、CMなどで活躍されています。
まとめ
森崎ウィンはミャンマー人のハーフか、両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介しました。
森崎ウィンはミャンマー人のハーフではなく、純粋なミャンマー人でした。
両親はウィンさんが生まれてすぐ日本に出稼ぎに行っていて、本国では祖母と2人暮らしでしたが、祖母は英語教室を営みながら優しく、時には厳しくウィンさんを育てていました。
父親は元々は世界中を回る船の整備士でしたが、ミャンマー料理店で働いた後、自分でミャンマー料理店を日本で開業したそうです。
母親は日本で事務の仕事をしていたそうで、ウィンさんに対する教育にはとても熱心で厳しい方でしたが、そのおかげでウィンさんの英語や日本語がネイティブレベルになったのかもしれません。
ウィンさんが歌手、俳優として今後ますます活躍される事を、家族やミャンマーの親戚の方々もきっと応援されていることと思います。
では、森崎ウィンはミャンマー人のハーフか、両親の職業や生い立ちなどまとめて紹介しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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